1872年 (明治5年) |
第一大学区第一番中学(東京大学の前身)の教師のホールス・
ウイルソン氏によって初めてベースボールが日本に伝えられた。 |
1878年
(明治11年) |
新橋(アスレチィックス)クラブが誕生した。これが日本最初の野球チームである。 |
1882年 (明治15年) |
新橋クラブが日本最初の野球場を建設し保健場と呼び、新橋クラブと駒場農学校(東大農学部の前身)との間に日本最初の対抗試合を行った。 |
1894年 (明治27年) |
一高野球部の中馬庚選手が初めてベースボールに野球なる訳語を使用した。 |
1896年 (明治29年) |
日本最初の国際試合に、一高が横浜外人クラブを破った。 |
1903年 (明治36年) |
米国アメリカン・リーグとナショナル・リーグの間に現行のワールド・シリーズの第一回の争覇が行われた。
第1回の早慶戦が挙行され、初の勝利は慶応が記録した。 |
1904年 (明治37年) |
学生野球の王座が初めて一高から早慶に移った。 |
1905年 (明治38年) |
早大野球部が日本チーム最初の米国遠征を行った。 |
1906年 (明治39年) |
一高、三高戦がこの年から始まった。(早慶戦はこの年から大正14年まで中止されていたので、一高三高戦の方を日本最古の対抗戦と称するようになった。) |
1914年 (大正3年) |
早慶明3大学によって初めてリーグ戦を組織して、試合を行うようになった。(大正6年法政、大正10年立教が加入。) |
1915年 (大正4年) |
朝日新聞主催で全国中等学校優勝野球大会が開始された。 |
1918年 (大正7年) |
一高、早慶を破り、15年振りに学生野球の覇権を握った。 |
1919年 (大正8年) |
日本の学生野球の先駆として日本運動協会が橋戸信、押川清両氏によって設立された。 |
1920年 (大正9年) |
早慶戦復活の前提として三田稲門戦を定期戦として挙行することにした。 |
1924年 (大正13年) |
毎日新聞社が全国中等学校選抜野球大会を始めた。
阪神電車会社は5万人以上を収容する東洋一の大球場を甲子園に完成した。 |
1925年 (大正14年) |
9月20日 早慶明立法5大学のリーグ戦に秋季から東大が正式に加入し、早慶戦が19年振りで復活したので、名実共に充実した六大学リーグ戦開始された。 |
1926年 (大正15年) |
前々年に神宮競技大会が開始されたにもかかわらず中央に野球場を持たないというところから、六大学野球連盟の幹部が大に努力して神宮球場を完成した。(昭和6年春 増築工事を行った。)秋季リーグ戦より六大学連盟に東宮盃が下賜された。 |
1927年 (昭和2年) |
東京日々新聞(現毎日)によって都市対抗野球大会が開始された。
最初のラジオ放送が、東京では一高、三高戦大阪では全国中等学校優勝野球大会で行なわれた。
我国球界の父安部磯雄氏の胸像が早大戸塚球場に建設された。 |
1928年 (昭和3年) |
六大学リーグでは専属審判員制度を設けた。(この制度は昭和6年に明大八十川投手のボーク問題が原因で廃止された。) |
1929年 (昭和4年) |
神宮球場において早慶戦が天覧試合を行った。 |
1932年 (昭和7年) |
文部省訓令第四号「野球の統制ならびに施行に関する件」、いわゆる「野球統制令」が交付された。(3月28日発令、4月1日施行) |
1933年 (昭和8年) |
日本で初めての夜間試合が早大戸塚球場で行われ多数の観衆を集めた。(早大2軍対早大新人試合) |
1936年 (昭和11年) |
職業野球団が7チーム誕生し、初めて職業野球連盟が結成され公式試合を行った。 |
1943年 (昭和18年) |
文部省が「戦時学徒体育訓練要項」によって学生野球を廃滅にみちびいた |
1945年 (昭和20年) |
10月28日 神宮球場で全早慶試合を挙行し野球復興の先鞭をつけた。 |
1946年 (昭和21年) |
東京六大学、東都大学、関西六大学各リーグ戦は春のシーズンより復活した。
2月25日 全国中等学校野球連盟(現日本高等学校野球連盟)が設立された。
夏の全国中等学校優勝野球大会、都市対抗野球大会共に再開した。
秋季リーグ戦に際し六大学連盟は東宮賜盃を返還し、あらたに天皇盃を拝受した。
8月 学生野球の民間人による自主的運営のため日本学生野球指導委員会を結成し、右の指導委員会は日本学生野球協会を12月に誕生させて発展解消した。
12月21日 学生野球の振興、指導、監督の基準として「学生野球基準要項」を制定し、ここに日本学生野球協会が誕生した。
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1947年 (昭和22年) |
選抜中等学校野球大会を再開した。
5月21日 文部省訓令第六号によって「野球統制令」が廃止された。
日本学生野球協会の結成を記念して第1回学生野球協会結成記念大会が開催された。(昭和39年の18回大会まで毎年実施された。)
大学野球王座決定戦が東京六大学、東都大学、関西六大学各連盟の代表によって挙行された。(昭和26年の5回大会まで実施された。)
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1950年 (昭和25年) |
1月22日 協会は基準要項に基く経験を基準として「日本学生野球憲章」を制定した。
戦後初の海外遠征として六大学選抜軍がハワイに遠征した。(16勝4敗1引分) |
1952年 (昭和27年) |
1月1日 昭和22年3月1日に設立した全国大学野球連盟を発展的解消して全日本大学野球連盟が設立された。
8月22日 第1回の全日本大学野球選手権大会を開始した。
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1953年 (昭和28年) |
2月12日 日本学生野球協会は財団法人として認可された。
右財団法人設立を記念して学生野球会館を建設することにした。 |
1955年 (昭和30年) |
4月30日 東京信濃町に学生野球会館を建設し開館した。
10月27日 第2回アジア野球選手権大会に東京六大学選抜チームが日本代表として初優勝した。 |
1957年 (昭和32年) |
10月29日 飛田穂洲氏が野球関係者として初の紫綬褒章を授章した。 |
1959年 (昭和34年) |
6月14日 第3回アジア野球選手権大会に学生社会人連合チームが優勝した。 |
1960年 (昭和35年) |
東京六大学野球秋季リーグ戦において早慶が有史を飾る6連戦を行った。 |
1961年 (昭和36年) |
12月24日 関西六大学野球連盟が解散し、新たに関西大学野球連合が発足した。 |
1962年 (昭和37年) |
1月9日 第4回アジア野球選手権大会に社会人日本石油チームが優勝した。
6月9日 神宮球場に新たにナイター設備が完成した。
12月3日 オリンピック道路建設のため、学生野球会館がとりこわしとなった。 |
1963年 (昭和38年) |
2月27日 日本高等学校野球連盟が財団法人に認可された。
6月11日 神宮第2球場をプロ野球のために改造する問題が衆議院文教委員懇談会にとりあげられた。
10月17日 関大西川投手が在学中にプロ球団と契約してアマチュア資格を喪失した。
11月1日 佐伯達夫氏が藍綬褒章を授章した。 |
1964年 (昭和39年) |
4月 神宮球場をアマ、プロ併用使用開始。
10月11日 東京オリンピック開かる。デモンストレーション競技として野球参加、全米学生選抜チーム対全日本学生選抜チーム、全米学生選抜チーム対全日本社会人選抜チームの2試合挙行。 |
1965年 (昭和40年) |
1月26日 飛田忠順氏死去。従5位勲4等に叙せられ同月31日東京青山斎場に於て我国初の「学生野球葬」を執行。
11月3日 学生野球の功労者として佐伯達夫氏勲4等旭日小綬章授章。
11月17日 プロ野球に於てドラフト制度採用。
12月12日 第6回アジア野球選手権大会で東京六大学選抜チーム優勝。(マニラ) |
1966年 (昭和41年) |
6月25日 学生野球の父飛田氏の胸像完成。(早大安部球場)
9月16日 日本アマチュア野球協会より学生側脱退。
11月11日 学生野球発展の功労者として外岡茂10郎氏藍綬褒章授章。 |
1967年 (昭和42年) |
3月25日 日本アマチュア野球国際委員会発足。
6月14日 第16回全日本大学野球選手権大会が初めて、地方で開かる。(名古屋)
8月25日 第7回アジア野球選手権大会で全日本チーム(学生、社会人混合)優勝。(東京) |
1968年 (昭和43年) |
3月10日 日本学生野球協会の表彰制度実施。
8月9日 第50回高校野球選手権大会を記念して記録映画「青春」を製作。
11月1日 明治百年記念野球大会開かる。 |
1969年 (昭和44年) |
3月24日 中沢記念野球会館が落成。
8月18日 第51回高校野球選手権大会優勝戦に於て松山商高と三沢高が対戦し18回引分け再試合となる。
11月8日 第8回アジア野球選手権大会に於て全日本学生選抜チームが優勝。台北)
12月 韓国で牛皮ボール製作開始。 |
1971年 (昭和46年) |
4月1日 スポーツ安全協会発足。
8月14日 高校野球体協加盟問題起きる。
9月9日 第9回アジア野球選手権大会に社会人選抜チーム派遣、日本2位。(韓国) |
1972年 (昭和47年) |
7月8日 第1回日米大学野球世界選手権大会日本で開催。5勝2敗で初優勝。
7月14日 同大会中早大東門明選手死去。 |
1973年 (昭和48年) |
2月18日 日米大学野球世界選手権大会中亡った早大東門選手の13番が永久欠番となる。
4月28日 第10回アジア野球選手権大会に社会人チームを派遣。日本1位。(フィリピン)
6月22日 第2回日米大学野球世界選手権大会に全日本軍派遣、日本2勝5敗。
8月10日 プロ野球退団者OBに限り、大学野球特別コーチ承認。
9月15日 (財)野球博物館主催による野球百年記念展覧会を開く。 |
1974年 (昭和49年) |
6月22日 第3回日米大学野球世界選手権大会アメリカで開催、日本3勝4敗。 |
1975年 (昭和50年) |
6月21日 第4回日米大学野球世界選手権大会アメリカで開催、日本2勝5敗。
6月21日 第11回アジア野球選手権大会に大学選抜チームを派遣、日本2位。(ソウル)
8月8日 中国棒球協会の招きで愛知工業大学中国に初遠征。
11月8日 東京六大学野球連盟結成50周念を記念し、プロ野球現役OB戦、社会人OB対現役混成紅白戦を行なう。 |
1976年 (昭和51年) |
5月22日 日本高等学校野球連盟創立30周年。
6月25日 第5回日米大学野球世界選手権大会日本で開催、日本2勝5敗。
11月15日 神宮球場竣工50周年を記念して東京六大学対東都大学選抜試合を行なう。
12月4日 第1回世界アマチュア野球選手権大会に社会人チーム派遣、日本3位。(コロンビア) |
1977年 (昭和52年) |
7月2日 第6回日米大学野球世界選手権大会アメリカで開催、日本2勝5敗。
10月19日 伊丹安廣明治神宮外苑長死去、従5位勲4等瑞宝章授賞。 |
1978年 (昭和53年) |
7月5日 第7回日米大学野球世界選手権大会は日本で開催、日本4勝3敗で日本2度目の優勝。
8月7日 全国高等学校野球選手権大会では、60回を記念して本年度より各県1校制とした。(東京、北海道は、2校)
8月15日 第2回世界アマチュア野球選手権大会に社会人チーム派遣、日本4位。 |
1979年 (昭和54年) |
3月12日 社会人側から体協加盟の申し入れがあったが、学生側としては、従来どおり体協へは加盟しないと回答した。
4月7日 東京六大学野球100シーズンを迎え、国鉄記念乗車券と記念葉書が発売された。
6月13日 全日本大学野球連盟が財団法人に認可された。
6月23日 第8回日米大学野球世界選手権大会は日本で開催、日本3勝4敗で米6度目の優勝。 |
1980年 (昭和55年) |
3月22日 佐伯達夫日本高等学校野球連盟会長、日本学生野球協会副会長死去、従4位勲3等旭日中綬章授賞。
6月21日 第9回日米大学野球世界選手権大会はアメリカで開催、日本1勝6敗で米7度目の優勝。
8月22日 第26回世界アマチュア野球選手権大会が日本で開催、日本2位。 |
1981年 (昭和56年) |
6月24日 第10回日米大学野球世界選手権大会は日本で開催、日本4勝3敗で日本3度目の優勝。
8月21日 第1回全日本大学選抜北海道大会を開催。
12月2日 アマチュアスポーツの「冠大会」に課税。 |
1982年 (昭和57年) |
1月22日 関西大学野球連合を解散、(昭和517年) 5大学野球連盟(関西学生、関西六大学、近畿、京滋、阪神)が並立の状態でリーグ戦を運営することを決めた。
3月17日 神宮球場、人工芝となる。
4月28日 協会所有の信濃町の土地売却。
6月27日 第11回日米大学野球世界選手権大会はアメリカで開催、日本2勝5敗で米8度目の優勝。 |
1983年 (昭和58年) |
6月25日 第12回日米大学野球世界選手権大会は日本で開催、日本4勝3敗で日本4度目の優勝。
9月3日 第12回アジア大会(ソウル)に日本代表として社会人チームが出場し、5勝2敗で日本、韓国、台湾が同率優勝した。しかし日本は、ロスアンゼルスオリンピック公開競技野球試合への出場権を失った。 |
1984年 (昭和59年) |
1月24日 日本社会人野球協会が日本野球連盟に名称を変更した。2月17日 元プロ野球選手の高校教諭10年勤続者に関する特別措置を実施した。
5月17日 日本学生野球協会史が発刊された。
7月9日 第13回日米大学野球世界選手権大会はアメリカで開催、日本1勝6敗で米9度目の優勝。
8月1日 ロス・オリンピック大会公開競技野球試合に日本チーム(繰り上げ出場)として社会人と学生の混成チームが出場し優勝した。尚、同大会出場に際し再度体協加盟問題が討議され従来の方針(体協に加盟しない)を再確認した。 |
1985年 (昭和60年) |
1月20日 第13回アジア大会(パース)社会人選抜チームを派遣、6勝2敗で優勝した。
6月26日 第14回日米大学野球選手権大会は日本で開催、日本4勝3敗で日本5度目の優勝。(本年より大会名を変更)
8月29日 日本高野連は、ハワイ高校選抜、韓国高校選抜を招き、初めて3国親善国際高校野球大会を開催した。日本優勝。 |
1986年 (昭和61年) |
7月1日 第15回日米大学野球選手権大会はアメリカで開催、日本1勝4敗で米10度目の優勝。
7月8日 4ヶ国大学対抗野球がカナダで開催、日本が優勝した。
7月19日 第29回世界アマチュア野球選手権大会がオランダで開催、日本は学生選抜チームで参加、5位。 |
1987年 (昭和62年) |
6月29日第16回日米大学野球選手権大会はアメリカで開催、日本1勝3敗で米11度目の優勝。
8月24日 第14回アジア大会を日本で開催、社会人と学生の混成チームが出場し、5勝1敗で日本は2位。 |
1988年 (昭和63年) |
6月26日 第17回日米大学野球選手権大会は日本で開催、日本3勝2敗で6度目の優勝。
8月23日 第30回世界アマチュア野球選手権大会がイタリアで開催、日本は社会人、学生の混成チームで参加、4位。
9月18日 ソウルオリンピック大会公開競技野球試合に日本チームとして社会人、学生の混成チームが出場し準優勝した。 |
1989年 (平成元年) |
6月22日 第18回日米大学野球選手権大会はアメリカで開催、日本2勝4敗で米12度目の優勝。
9月16日 第15回アジア大会(ソウル)に日本代表として社会人チームを派遣、
5勝1敗で韓国、台湾と並び3ヶ国が同率優勝した。 |
1990年 (平成2年) |
3月6日 日本アマチュア野球国際委員会解散。
6月20日 野球競技がオリンピックで正式種目になったのを受けて日本学生野球協会と日本野球連盟(社会人)の間でJOC(日本オリンピック委員会)とIBA(国際野球連盟)に加盟する為に全日本アマチュア野球連盟を結成した。今後のオリンピック、アジア大会、世界大会などのIBA或いはBFAが主催する大会には日本代表チーム(社会人と学生の混成)を派遣することにした。
6月23日 第19回日米大学野球選手権大会は日本で開催、日本4勝1敗で7度目の優勝。8月4日 第31回世界アマチュア野球選手権大会がカナダで開催、日本は日本代表チームを派遣、5位。10月3日 アジア競技大会公開競技野球試合に日本代表チームを派遣、3位。(北京) |
1991年 (平成3年) |
6月22日 第20回日米大学野球選手権大会は日本で開催、日本3勝2敗で8度目の優勝。
7月2日 インターコンチネンタルカップがスペイン・バルセロナで開催、日本代表チームを派遣、2位。
9月15日 第16回アジア大会(北京)に日本代表チームを派遣、優勝しバルセロナオリンピックの出場権を獲得した。 |
1992年 (平成4年) |
3月7日 オリンピックに参加する日本代表チームが、プロ野球選抜チームとアマ・プロ交歓試合を行った。(神宮球場)
6月20日 第21回日米大学野球選手権大会はアメリカで開催、日本1勝4敗で米13度目の優勝。
7月26日 バルセロナオリンピック野球競技がオリンピック史上初めて正式種目として開催、日本代表チームが銅メダルを獲得した。 |
1993年 (平成5年) |
3月25日 神宮第二球場が人工芝となる。
6月23日 インターコンチネンタルカップがイタリアで開催、日本代表チームを派遣、3位。
7月9日 ユニバーシアード夏季大会が米国バッファローで開催、日本選抜(大学生のみ)チームを派遣、4位。
7月19日 第22回日米大学野球選手権大会はアメリカで開催、日本1勝4敗で米14度目の優勝。 |
1994年 (平成6年) |
1月26日 廣岡知男日本学生野球協会会長が野球殿堂入りした。
2月25日 元プロ野球選手の高校教諭10年勤続者に関する特別措置を5年に短縮した。
4月13日 野球界の沈滞を打破するためプロ、アマ、少年野球など日本の野球界に会して将来に向けて活発な意見交換をする全日本野球会議が開催された。
5月29日 早慶2回戦に天皇皇后両陛下が44年振りに行幸啓された。
6月25日 第23回日米大学野球選手権大会は日本で開催、日本3勝2敗で9度目の優勝。
8月3日 第32回世界アマチュア野球選手権大会がニカラグアで開催、日本は日本代表チームを派遣、3位。
10月8日 広島アジア競技大会で野球競技が初めて正式種目として開催、日本代表チームがを金メダルを獲得した。
12月28日 第1回AAAアジア野球選手権大会がオーストラリアで開催、日本高校選抜が優勝した。 |
1995年 (平成7年) |
1月25日 石井藤吉郎氏(元早大監督)が野球殿堂入りした。
2月24日 元プロ野球関係者の大学特別コーチ制度が改正され、自校の先輩に限って自由に特別コーチを受けられるようになった。
2月25日 神宮球場のスコアーボードと外野フェンス(エンタイトルツーベース防止)の改修を行った。
3月25日 1月17日阪神大震災が発生したが第67回選抜高校野球大会は予定どおり開催された。
6月22日 第24回日米大学野球選手権大会はアメリカで開催、日本2勝3敗で米15度目の優勝。
8月26日 ユニバーシアード夏季大会が福岡で開催、日本選抜(大学生のみ)チームが参加し3位。
9月10日 東京六大学野球連盟が結成70周年の記念植樹を神宮球場三塁側の敷地におこなった。
9月17日 第18回アジア野球選手権大会が倉敷で開催、優勝してアトランタオリンピックの出場権を獲得した。
11月14日 東京六大学野球連盟が結成70周年を記念して東京六大学選抜対プロ野球東京六大学OB選抜の記念試合を挙行した。(この試合は審査室の特別な許可で実現した)
12月5日 日本高等学校野球連盟は高校の帯同試合を条件つきで認めることにした。また、アウトオブシーズンにおける合同練習も条件つきで認めることにした。
12月22日 全日本野球会議の指導者育成委員会は第1回目の野球指導者講習会(2泊3日)を開催した。 |
1996年 (平成8年) |
4月26日 第2回AAAアジア野球選手権大会がフィリピンで開催、日本AAA代表チームを派遣、3位。
6月22日 第25回日米大学野球選手権大会はアメリカで開催、日本5戦全敗で米16度目の優勝。
8月2日 アトランタオリンピックで日本代表チームが銀メダルを獲得した。
9月21日 国際野球連盟が大会参加者資格規定を改正、プロ選手の大会参加が可能になった。
11月9日 明治神宮外苑創建70年を記念して東京六大学対東都大学の選抜奉納試合が挙行された。 |
1997年 (平成9年) |
5月25日 第19回アジア野球選手権大会が台湾で開催、日本代表チームを派遣、2位。
6月21日 第26回日米大学野球選手権大会は日本で開催、日本4勝1敗で10度目の優勝。
7月8日 元プロ野球関係者の大学特別コーチ制度が改正され、大学出身者に限って自由に特別コーチが受けられるようになった。なお、高校出身者は年3回、1回につき3週間で許可制とした。また、元プロ野球関係者の高校教諭5年勤続者に関する特別措置を2年に短縮した。
8月1日 インターコンチネンタルカップがスペインで開催、日本代表チームが優勝した。
12月11日 オリンピック予選やオリンピック関連の大会に関してのみプロ選手を補強し、社会人、学生(高校生は対象としない)、プロの連合チームで参加することを承認した |
1998年 (平成10年) |
7月3日 第27回日米大学野球選手権大会は米国で開催、日本1勝3敗で米国17度目の優勝。
7月22日 第33回世界選手権大会がイタリアで開催、日本代表チームを派遣、5位。
9月4日 第3回AAAアジア野球選手権大会を大阪で開催、日本優勝。
12月7日 第13回アジア競技大会がタイで開催、日本代表チームを派遣、2位。
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1999年 (平成11年) |
6月23日 第28回日米大学野球選手権は日本で開催、日本5勝で11度目の優勝。
8月6日 第18回世界AAA野球選手権大会が台湾で開催、日本AAA代表チームを派遣、5位。
9月11日 第20回アジア野球選手権大会が韓国で開催、日本代表チームは初めてプロ野球との合同チーム(社会人11名、大学生5名、プロ選手8名)で参加、準優勝でシドニーオリンピックの出場権を獲得した。
11月3日 第14回インターコンチネンタルカップがオーストラリアで開催、日本代表チームを派遣、3位。
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2000年 (平成12年) |
6月25日 第29回日米大学野球選手権大会は米国で開催、日本2勝3敗で米国18度目の優勝。
9月17日 シドニーオリンピックにプロアマ合同の日本代表チーム(社会人11名、大学生5名、プロ選手8名)で参加したが、メダルを獲得することが出来なかった。
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2001年
(平成13年) |
6月23日 第30回日米大学野球選手権大会は日本で開催、日本3勝2敗で日本12度目の優勝。
11月5日 第34回IBAFワールドカップが台湾で開催、日本代表チームはプロ野球との合同チーム(社会人4名、大学生5名、高校生1名、プロ野球選手14名)で参加し、4位となった。
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2002年
(平成14年) |
6月28日 第31回日米大学野球選手権大会は米国で開催、米国3勝2敗で米国19度目の優勝。
8月2日 第1回世界大学野球選手権大会はイタリアで開催、日本代表チームは銅メダルを獲得した。
11月8日 第15回インターコンチネンタルカップがキューバで開催、日本代表チームはプロ野球との合同チーム(社会人4名、大学生4名、プロ野球選手16名)で参加したが、準々決勝リーグで敗退した。
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2003年
(平成15年) |
7月12日 第32回日米大学野球選手権大会は米国で開催、米国5勝全勝で米国20度目の優勝。
10月12日 第35回IBAFワールドカップがキューバで開催、日本代表チームは社会人選抜チームで参加し、3位となった。
10月31日 第22回アジア野球選手権大会兼アテネオリンピックアジア地区予選が札幌で開催、日本代表チームは初めてプロ野球選手のみで編成、3戦全勝で優勝し、アテネオリンピック出場権を獲得した。
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2004年
(平成16年) |
7月2日 第33回日米大学野球選手権大会は日本で開催、日本5勝全勝で日本の13度目の優勝。
7月23日 第2回世界大学野球選手権大会が台湾・台南で開催、日本代表チームは銀メダルを獲得した。
8月15日 第28回オリンピックがギリシャ・アテネで開催、日本代表チームは全員プロ野球選手で参加し、銅メダルを獲得した。
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2005年
(平成17年) |
5月19日 第23回アジア野球選手権大会が宮崎で開催、日本代表チームは社会人野球との合同チーム(社会人19名、大学生1名)で参加し優勝した。
7月8日 第34回日米大学野球選手権大会が日本で開催、日本3勝1敗で14度目の優勝。
9月2日 第36回ワールドカップがオランダで開催、日本代表チームは社会人野球との合同チーム(社会人19名、大学生1名)で参加し、5位となった。
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